Twitterを始めた。今日で一週間になる。
ニュースや雑誌、あるいは友人からの話でTwitterが面白いのは聞いていた。
でも、140文字のつぶやきがなぜ面白いのかが今ひとつ理解できずにいた。
Mixiもやったことはあるが、内輪で盛り上がる感じが今ひとつなじめず、のぞき見をしているようで、しばらくほっといてフェイドアウトしてしまった。
どうもそのイメージが強く残っていたのかもしれない。そして週間ダイアモンドのTwitter特集を読んで驚いた。そうか、そういうことが起きていたのか・・・、といきなりTwitterを始めたのだ。
90年代後半に「City of Bits」という本を共訳した。当時MITの建築学部長であったウィリアム・ミッチェルの書いた本だ。これはインターネットの状況を解析し、インターネット的な世界観で建築や都市を読みなおす、という当時では画期的な内容であった。
都市論において、都市はAGORAである、あるいはFORUMである、という言い方がある。AGORAはギリシャ時代、FORUMはローマ時代の言い方であるが、人が集い様々な議論を交わし政治や社会が顕在化する広場を指した言葉だ。
そこで、過去に何度も「インターネット」は都市的なAGORAであると言われてきたが、Twitterがこれほどまでに都市的で面白いモノであろうとは、想像できていなかった。
Twitterはまぎれもなく都市のAGORAである。あるいはFORUMである。
今なら言い切れる。Twitterを始めて一週間程度にもかかわらず、都市のうねりに大きく巻き込まれてしまった経験を通してそう思った。
誰かがSNSは郊外でのコミュニケーションであると言っていたが、あたっているように思う。それと比較すると、Twitterはまさに都市のど真ん中だ。それも実際の都市よりも遙かに都市らしいかもしれない。
以前のブログにも書いたが、マンションのコミュニティというのは、どうしても希薄になりがちである。これはその空間の作り方に問題があるのだが、その理由についてはここでは割愛する(過去ブログ参照)。
都市のコミュニティにとって「気配」はとっても重要だ。一軒家が並ぶ街では気配が見える。道に面した商店街では「気配」は道に大きく開いて繋がっている。電気がついているとか、出かけたとか、友人が訪ねているようだとか、ゴミを出したとか、そんな日常的な気配があるからこそ、道であった時には、さっと挨拶できたり会話 ができたりする。
「道」で繋がった下町では、道が唯一の出入り口であり、採光も道を通して確保しているので、家の「気配」が道にはみ出してくる。これはマンションにはない感覚だ。どこに誰が住んでいてどんなことをやっているのか、それが「気配」をとおして少しずつ漏れてくる。それがコミュニケーションのベースとなって会釈が会話となり、そして町内会となり街のコミュニティが繋がっていく。
Twitterは言ってみれば、多くの人たちの「気配」があふれ出てくる「都市」だと思う。140文字という少ない量の文だからこそ、構えずに気軽につぶやける。そしてそこには「タイムライン」という道がある。
タイムラインを眺めていると、まるで大通り沿いのカフェに座っているような気持ちになる。でも、実際のカフェでは、道を通る人のつぶやきは聞こえないが、Twitterでは、それは鮮明に読み取れる。
「今、国会で予算委員会がはじまった・・」
国会から議員達がつぶやく。つまり国会議事堂もこの大通りの一部だ。
「今、朝御飯を食べ終わってでかけるところ・・・」
10年来会っていない旧友がつぶやく。旧友の玄関も一部である。
「日本の文化は、今大きな問題を抱えている・・・」
有名な論客が執筆途中につぶやく。そう、この論客の頭の中も「Twitter大通り」の一部である。
Twitterを始めて少しずつフォローする人が増え、フォローされる人が増えるにつれて「うわぁ、なんだこれ」かなり衝撃的なことが起こり始めた。これはまさに「都市」だ。この大通りは小さな通りにも大きな通りにも変化する。自分がフォローする人の数によって、10人でも100人でも、1000人でも自由にその道幅は変化し、さらに地理的な近接性はゆがめられ、日本中あるいは世界中のありとあらゆる人のつぶやきが目の前のタイムラインを通り過ぎていく。
10人ぐらいなら井戸端会議。50人100人となれば立派な街だ。そして1万2万となれば「都市」でありメディアにもなる。さらに10万を超えてくれば、これは立派な大都市であり、マスメディアである。
勝間和代のフォロワーの数がもうすぐ30万人に達しようとしている。
彼女の一挙一動が、つねに30万人に伝わっている様は圧巻だ。彼女の生活や思考が、この大通りの目立つ位置に、ガラス張りの状態でいつも進行中なのだ。そしていつでも話しかけることができる。彼女は返信もしてくれるのだ。
Twitterという都市はものすごいかもしれない。しかも都市や人々の活動、そしてコミュニティのあり方すら変えていく大きな力を持っているように思う。
つぶやきという「気配」。
Twitterという「都市」。
なんだか楽しくなってきた。
しばらくTwitterを続けていこうと思う。
(このブログは、僕のTwitterでのつぶやきを再編したものです☆笑)
Twitterで noriyukitajima を検索してみてください。
(田島則行)