テレデザインにおける様々な活動や思索や情報を、この BLOG のコーナーにおいて紹介します。近況報告や、プロジェクトリポート、あるいはテーマ別のトピックなど、 気軽に読んで頂ければ幸いです。

T邸新築工事:着工・縄張り

2009年5月28日

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いよいよ着工です。
根伐工事の前に建物の位置を確認する縄張りを行って、全体の配置をチェックしました。
これから根伐、基礎工事に入っていきます。

上棟式

2009年5月26日

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現在千葉で進めている新築住宅のプロジェクトにおいて、晴天に恵まれた気持ちのいいある五月の日曜日に、上棟式が執り行われました。

上棟式とは、建物の構造である柱・梁・棟が組み上がった段階で、お施主さんが、大工の棟梁をはじめとする現場の方々に感謝して開く、お祝いの儀式です。
最近では、特に都市部において上棟式が行われることは非常に少なくなってきていますが、地方などの場所によっては、近所の人を集めて宴会を開いたり、屋上から餅を撒いたりする等、盛大に行われることもあります。

今回は、家の玄関を入ったところの、階段室にあたる吹き抜け空間を利用し、そこに紅白幕が掛けられ、祭壇に酒、米、塩などの供物が供えられて式の準備が整えられました。
長方形の空間の突き当たりに設けられた祭壇と、2層吹き抜けの柱の間から陽の光りが入ってくる様は、ちょっとした教会のような空間の体裁となり、そこに集まった施主、設計者、工務店、工事に関わっている多くの関係者が、まさにこれからつくり上げられる家の、立ち上がったばかりの空間の中で、よろこびを共有しながら上棟を祝います。

式は、まず一同頭を下げてお祓いがされた後、神主さん(今回は工務店で一番ご年配の方が務められました)による祝詞奏上があり、一人づつ祭壇に向かって2礼2拍1礼する玉串奉天、建物の四隅に1箇所づつ米、塩、酒をまいていく四方払いが行われました。

続いてお施主さんから、棟梁をはじめとする関係者全員に、ここまで工事が進んだことへの感謝と労いのスピーチがあり、設計事務所代表、工務店代表の挨拶があった後、ジュースによる乾杯です。

つい数日前までは、基礎以外になにもなかった敷地に、突如として立ち上がった家のかたちを目の前にする上棟という瞬間は、設計に携わっている側からしても非常に興奮する瞬間ですし、特にお施主さんにとっては、今まで図面でしか想像できていなかった空間を、はじめて実際に確認できることとなり、その驚きや感動、喜びはひとしおです。

関係者一同の表情も皆晴れやかで、どちらかというと厳かな感じのする地鎮祭と比べると、談笑の絶えない非常に楽しいお祝いとなりました。

家をつくるはじまりから終わりまで、特定の大工の集団がつくりあげていた昔とは異なり、工事の種別ごとに専門の業者が入れ替わりで入っていくかたちに変わったことで、施主とつくる側の関係が希薄になったことが、上棟式を行うことが少なくなった理由の一つに挙げられるかもしれません。

しかし、今回のように、工事中のある時点で施主はその労をねぎらって感謝を表し、つくる側も実際に施主と会ってその人柄を知り、感謝されることで、その家に対する思い入れを深くすることができる上棟式という儀式は、非常に意味のあるものだと感じました。(スタッフ:神津)

シアトル紀行-2
マリナーズのIchiroll

2009年5月22日

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セーフコフィールド

レクチャーは2日間にわたって行われ、東京からは僕が、そしてもう一人は北京で創作や調査活動等をおこなっているアメリカ人女性のMary Ann Rayさんも一緒に招待されました。東京と北京を比較しながら都市と建築を考えよう・・といった主旨の講演会です。

学生達にとっては、東京という場所、そして東京という特殊な環境(世界的に見れば特殊なんですね)に建つ建築というのが、まず刺激的というか、興味を沸き立てるようで、東京ツアーを組み込んだ設計授業なども行われていました。ですので、今回は講演だけでなく、東京ツアーに行った学生達の作品の講評会にもクリティックとして招かれ、アメリカ人学生の「日本論」を楽しく聞かせて貰いました。

昔とは違い、「フジヤマ・ゲイシャ」の皮相的な見方をする学生も少なく、彼らなりに深く切り込んでいて、それはそれで面白かったです。ただし、アメリカ人からすれば、日本の建築デザインや文化的な奥行きを一朝一夜で理解するのは、なかなか難しいハードルなのでしょう。悪戦苦闘しながらの学生達の今後が楽しみです。

偶然ですが、運良くマリナーズのホームゲームを見に行けました。対戦相手がなんと、レッドソックスで、松坂のローテーションとは重なりませんでしたが、岡島の投球も見れましたし、目の前でイチローも見れました。

残念ながら、その日のイチローはワンヒットだけ。ライトにもフライすら飛んできませんでしたので、イチローのレーザービームも見れませんでした。はたまた、楽しみにしていたIchiroll(セーフコ・フィールド名物の巻き寿司です)は売り切れて食べられませんでしたが、メジャーリーグ・ベースボールをたっぷりと堪能してきました。

今度はぜひ、プライベートでシアトルに遊びに行きたいと思います。(いつになることやら・・・)
(田島則行)

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シアトル大学の学生達の作品
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売り切れだったIchiroll

シアトル紀行-1
美しい都市・University of Washington

2009年5月22日

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ワシントン大学キャンパス

ニュースでもお知らせしましたように、シアトルのワシントン大学に行ってきました。

新型インフルエンザのニュースが世間を騒がせている中、ちょっと心配しながらの渡航となりましたが、インフルエンザにかかることもなく無事帰ってきました。(昨日のニュースで、僕の次の日に成田着の二人がインフルエンザだったそうです。間一髪)

アメリカに行ったのは久しぶりで、ハーバード大学に講演に行った2003年以来になります。アメリカには、20代のころに何度も建築を見て回っていますので、もうお馴染みではありますし、シアトルにも1回訪れているはずなのですが、遙か昔のことで、今回が初めてのような気分でした。

シアトルは、スターバックスとタリーズコーヒー、そしてイチローのいるマリナーズのことが思い出されますが、現地で案内してもらう際に、実はマイクロソフトも、ボーイング社も、そしてアマゾンもシアトルから生まれた会社であることが、不勉強ながら知るに至りました。そういった経済的な理由のせいか、街の雰囲気はとても良く、小綺麗で、住んでみたいと思えるような緑あふれる環境でした。人口も市内で56万人、広域で380万人という、ちょうど良いサイズです。

ワシントン大学もアメリカの大学の例にもれず、非常にすばらしい環境で、設備も充実しており、キャンパス内の雰囲気は最高です。自分もおもわず学生に戻って勉強し直したい・・・と思ってしまいます。University of Washingtonは、省略してUWと書きますが、これを「ユー・ダァブ」と読むのだそうです。

日本の大学と特に違うのが、ランドスケープや外構まわりのデザインで、メンテナンスもきちっと行われており、散歩するのも、芝生に寝そべるのも、とても楽しめます。

学校内には、教師向けのクラブハウスもあり、大学に着くやいなや、いきなりそのクラブハウスに連れて行かれ、他の先生方と一緒にまずはビールで乾杯の歓迎を受けました。そしてすばらしいのが、このクラブハウスが60年代の近代建築で、非常によくできたプラン、そして窓の先に広がる絶景ともいうべき眺めでした。

僕がクラブハウスに着いたときに、ちょうど曇りから晴れ間が広がり、突如として緑あふれる幻想的な風景、油絵のような眺望が広がり、なんだか、シアトルを好きになってしまいそう・・・と予感させられました。
(つづく・・・)


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シアトル
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クラブハウスからの絶景

NT邸新築工事:配筋検査

2009年5月19日

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地下1階床スラブの、配筋検査を行いました。
鉄筋は、一度コンクリートを打ってしまうと見えなくなってしまい、やり直しのきかない部分ですので、建築基準法、構造仕様書、施工図に照らし合わせてしっかりと確認し、全て記録をとります。

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