今日は、枠のディテールの話をしたいと思います。
「枠」にまつわるディテールは、建築の工法の中では重要な役割を果たします。違う素材と素材がぶつかるところとか、あるいは違う面と面がぶつかるところは「枠」が不可欠です。
天井と壁だったら回り縁という「枠」がきて、床と天井だったら、巾木という「枠」がきます。そして、窓と壁の間には、窓「枠」がきます。別々のモノを調和して旨く納めるために「枠」が大きな役割を果たすのです。
たとえば、素材が違えば温度差による伸縮が違います。ぴったりと納めてしまうと伸縮のズレによるヒビが生じてしまいます。
壁とか床とか窓サッシのように、面や取り付け位置が違えば工事する順序が違いますし、その違うパーツを支える下地が違います。床は土台や根太(ねだ)を下地としており、壁は間柱(まばしら)を下地にしています。そして別々に作っていったものの間には、必然的に隙間が生じてしまいます。その隙間を無理矢理なくしてしまうと、上述のようにヒビが入ってしまいますから、その隙間を埋める調整材として使われるのが、巾木だったり回り縁だったり窓枠だったりするわけです。
こういった理由で、通常のマンションや住宅は、あちらこちらが「枠」だらけの空間になってしまいます。
ところが空間ができあがってみると、この「枠」が大きな邪魔になります。
たとえば、窓の開口を大きくとって外にある自然風景と一体化したような空間を作ろうとした場合、窓は「窓」ではなく、大きな「開口部」として作りたいと思うのです。
つまり、窓を消してしまいたい・・・と。
そうすることによって、窓そのものの存在よりも、意識の中からは窓が消え去って、窓の外にある風景が主体となった空間感覚が現前したりするのです。
だから、「窓枠」が強すぎるのは問題です。
あるいは、壁を壁として美しく立ち上げたいときに、巾木や回り縁はディテールとしては必要であるけども、できるだけ慎ましく納まっていてほしいのです。
我々は、工法としては「枠」を尊重して設計しますが、意匠としては「枠」が負けるように努めています。
なぜなら空間性が勝って欲しいからです。「枠」が見えないデザインは結果に大きな違いをもたらします。(田島則行)