テレデザインにおける様々な活動や思索や情報を、この BLOG のコーナーにおいて紹介します。近況報告や、プロジェクトリポート、あるいはテーマ別のトピックなど、 気軽に読んで頂ければ幸いです。

住宅建築の予算(後編)
ハウスメーカーや建売住宅との違い

2008年10月22日

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「住宅建築の予算」(10月10日)の後編です。

一般の方が、ハウスメーカーや建売(あるいは売建)会社に話を聞けば聞くほど、わからなくなってしまうのも無理はありません。住宅業界の仕組みは、一見簡単なように見えて実はとても複雑です。

あえて簡単に言うならば、ハウスメーカーであれ建売(あるいは売建)会社であれ、建築家が設計するものであれ、すべての住宅は本来「特注の注文住宅」なのです。すなわち、すべての図面が引き終わらなければ正確な見積もりは弾けないのです。

敷地の条件は土地ごとに違いますし、要望や間取りも家族構成によって違います。

従って、最低でも10ページ~20ページぐらいの図面が完成しない時点で、もしもハウスメーカーや建売(あるいは売建)会社が見積もりを提示するときは、プランや仕様にある一定のルールや制限を取り決めしておくことによって、値段を「仮定」できるようにしてあります。

そんなわけで、彼らは図面を1~2枚書くだけで見積書を提示できたりするのです。

たとえば工法や材料、あるいは仕入れルート、メーカー等々、あらかじめ取り決めしておくことによって、できるだけ安く仕入れ、典型的なプランパターンに当てはめることによって設計費用を安価で外注し、(そこに明記はしていませんが)宣伝費用や営業費用を加えた見積が出来上がります。

そんな状況で、もし住宅の建築を予定されている方が建築家の設計した住宅をイメージしながら色々な要望を追加すると、あらかじめ「仮定」した想定プランや仕様には合致せず、要望を出せば出すほど外注の設計料も上積みされ、一生懸命動いてくれた営業マンの営業費用も上乗せされてしまいます。結果として、ハウスメーカーや建設会社に特注住宅を依頼すると、我々が設計を行うよりも高い見積がでてきてしまったりするわけです。

建築家の設計する住宅は、すべてが特注の注文住宅です。要望を伺いながら設計図面をまとめ、途中には概算見積もりをとったりしながら、予算に合わせて図面を仕上げます。そしてその詳細な図面(ハウスメーカーや建売(あるいは売建)会社が書く図面よりも3倍ぐらいの密度と枚数)をもとに、正確な見積もりを建設会社に依頼し、建設会社も図面を詳細に拾い上げて見積もりをまとめ、希望どおりのプランが予算内におさまるように調整します。

もちろん、すべての要望を満たすことができないことは、多々あります。ものには値段があります。柱一本でも値段があり、ドア一枚でも値段があります。また、相場によっても建設費は変動しますから、そういった一つ一つの仕様を確認しながら、最大限、要望に近いものを作り上げるのが、我々の仕事になります。

結果としては、ハウスメーカーや建売(あるいは売建)会社のいわゆる標準仕様よりは、建築家住宅は高いものになりますが、彼らに特注品を依頼するよりは、我々のものの方が安くつくことが多いのです。

たとえば、ハウスメーカーに依頼すると、吹き抜けのある大きなリビングルームやら屋上テラスや坪庭のある浴室などは、なかなか実現できません。モデルルームでそういったものがあったとしても、実際に依頼してみると「オプション設定」だったりします。特別な要望がなければ、 ハウスメーカーの標準仕様で十分だと思いますが、独自のデザインで自分にあったライフスタイルの住宅を求めているのであれば、建築家と二人三脚で作り上げていくのは、大きな喜びとなるとでしょう。

こんな短い説明では把握しきれないかもしれませんが、業界をめぐるお金の仕組みを理解してもらえれば、前述の相談にいらした二組の方々 も、あらかじめ希望にあった進め方・会社を選択し、悩みは少なくてすんだと思います。(田島則行)

デザイン・フィロソフィー
空間のテクスチャー

2008年10月16日

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Round Cell Houseのリビング


空間の美しさとか、建築の良さって何でしょうか?

また、我々が一生懸命考えて設計デザインするのはなんの目的があってなのでしょうか?

この問題は、つねに我々が考え続けなければならない課題です。

建築や空間は単なる生活の「場」でもなく、単なる機能的な活動のための「器」でもなく、あるいは見栄を張るための「光り物」でもありません。そこに生活し、そこで活動をし、そこで人々と集うことで大きな安心感や充足感、心の豊かさを与えてくれるものだと思っています。あるいは「付加価値」という言い方もできるかもしれません。

外観は町並みを作り出し、エントランスは品格を表し、そして建物に入っていけば光の陰影が空間を彩り、外の風景が目を和ませ風通しのよい心地よさにつながっていく。

素材は単なる素材ではありません。様々な仕上げ材の表情やテクスチャーが、窓などの開口部からの光の角度によってすこしずつ表情が変化し、飽きのこない空間、「棲むこと」のできる空間が現前すると思うのです。

 僕らは特に「環境」を大切にします。都心に建てられるものであれ、郊外に建てられるものであれ、それぞれの土地は固有の特徴をもった周辺環境に恵まれています。
「恵まれている」と言ったのは、誤解を与えるかもしれませんが、それが一般には「悪い」といわれる環境であっても、ポジティブな方向にとらえ直すことによってその唯一無二の環境が最大限に生かされ、その他の場所では実現できない「空間」を輪郭づけることができると思うのです。

 一般の方は、もしかしたら「竣工写真」というデザインされた物の見え方に囚われてしまうかもしれません。でも実際には「写真」に現れる見せかけの姿は、本当の空間の良さとは関係ありません。空間は奥行きや高さ、そして時間の経過とともに立ち現れてくる4次元の良さが大切だと思っています。(ですので、カメラマンの方々にはいつも無理を言って「時間や光のテクスチャーをちゃんと撮ってください!」とお願いします。笑)

良い空間、良い建築?という設問に正解はありません。と言いつつ、今日もまた新しいプロジェクトと向き合いながら、理想を目指して切磋琢磨する日々です。(田島則行)

住宅建築の予算(前編)
ハウスメーカーや建売住宅との違い

2008年10月10日

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最近、二組の戸建て住宅の建築を予定している方から、相談を受けました。偶然ですがどちらもまったく同じことで悩んでいました。
建築予算のことです。それは単純に予算が足りるとか足りないとか、そういう話ではなく、自分のほしいものが自分の予算で可能かどうか、とても不安に思っているらしいのです。

でもそれだけだったら、だれでも悩むようなことであり、試算すればすぐにでも解決する問題なのですが。ところが、その二組の方々の不安は尋常じゃありません。僕に話しを聞きに来たにもかかわらず、僕のところに来るまでに、いろいろな人たちに話を聞いて、聞けば聞くほど耳年増になってしまい、不安が解消されなくなってしまったようです。

実は、このパターンはよくあることなので、建築・建設・不動産業界の人たちであれば、「ああ、あのパターンね・・」とわかってしまうのですが、でもでも、一般の人たちからすれば、そんな業界の常識も知るよしもなし、この「パターン」に陥ってしまうのも、無理はありません。

話の骨子はこういった感じです:
まずはハウスメーカーや建売(あるいは売建)会社と話をした。そして建築家の設計した家をイメージしながら、いろいろな要望を伝えた。相手の営業の人は受け答えもよく、すぐに会社に持ち帰って図面を書いてくれますが、何回要望を伝えても、自分の望む図面が出てこない。最終的には、要望の多さもあって、自分の予算をはるかに超えた見積書を持ってきた。自分の要望するような空間は、この予算で実現するのでしょうか?

こういった話は、専門家なら何が問題かよくわかりますが、いくつもの落とし穴があります。業界の構造がわかっていれば、明快なのですが、ハウスメーカーや建売(あるいは売建)会社の方も仕事を取りたい一心で一生懸命対応しますから、その仕組みの違いを説明するのではなく自分の会社のよいところをアピールして、自分のところで要望に答えられるようにがんばってしまったりもするのです。

でもその結果が、中途半端なデザインもどき住宅に、予算オーバーの見積もり。
当然、クライアントは悩んでしまいます。

この悩みに突入してしまうと、疑心暗鬼になってしまうようで、なかなか暗雲が晴れません。たとえばこんなタイミングで建築家がすぐに「希望の家を予算どおりに作れます!」と言っても、それでは「本当ですかぁ?(疑心暗鬼)」となってしまいます。そう言いたくなるお気持ちは察します。業界構造が複雑すぎますよね。
詳しくは後編で・・つづく。(田島則行)

経済不況と日本の将来 II
団塊ジュニア世代と消費マインドの後退

2008年10月 6日

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ホンダFCXクラリティ、燃料電池車


今、気になっているのは、今の30代から20代の団塊ジュニア達の動向です。上の世代達のマーケットプランナー達は、この人口の多い世代に大きな期待を描いています。その後は人口はどんどん尻すぼみになりますから、ある意味、最後の経済バブルの原動力となる世代と期待されているのです。

ただ、いろいろと話を聞くなり、あるいは調査データを見ると、その期待は大きく外れる、あるいはもうすでに外れようとしているように、見受けられます。というのも、彼らはそもそも、バブル崩壊後に育った世代であり、消費行動も慎ましく、貯蓄に走る傾向があるからです。

僕自身は1964年生まれですから、実際に社会に出たのはバブル崩壊前後の世代です。ですので、ある意味、不景気の中で堅実にやってきた世代であった・・・と思っていたのですが、どうも、団塊ジュニア世代と話をしていると、彼らに比べれば僕らはまだまだ、堅実というよりは、バブルっぽい傾向がまだ残っているようなのです。

最近のガソリン高騰を受けて、ここのところ、ガソリンエンジン付きの車とかバイクに、急に違和感を感じ始めています。子供のころから、あれほど車やバイクが好きだったにも関わらず、最近は燃費運転を心がけ、いっそのことハイブリッドのプリウスやホンダの燃料電池車に乗り換えようかとも思うぐらいです。ですので、僕の心の中にあった「ガソリンエンジン付きの乗り物」に対する情熱が今、静かに燃え尽きようとしています。

でも、この情熱ってどこから来たんだっけ? いつからだろう・・・と思って、ハッとしました。

僕らの世代は、ある意味、我々の父親の世代の経済発展を間接的に体験していました。夢ときめくモーターショーや、スーパーカーブーム。年齢を増すごとに豪華になる車と住宅。年々モデルチェンジする自動車や家電に囲まれて育ったのが、我々の世代です。そしてバブル崩壊を横目で見ていたとはいえ、実際にはその直接のダメージを受けてなかったこともあり、自分で自覚しないところで、その「右肩上がり」神話がまだ深層意識の中に密かにくすぶっていたのでしょうか。

そして、その発展イメージの象徴がもしかしたら「車」だったように思います。

年齢が上がり、給料があがったら、大きい車に乗り換える・・・。これって右肩上がりの発想でしょう? そういえば、団塊ジュニア世代は車に興味がないらしい。そうか、彼らはこの右肩上がり体験を共有していないものね。僕らの世代みたいに「車」に特別な"輝き"を感じないんだね。たぶん。

そういうわけで、深層意識の鱗が落ちかけているこのごろです。最近は小さい車やハイブリッド車が格好良く見えます、笑。(田島則行)

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