テレデザインにおける様々な活動や思索や情報を、この BLOG のコーナーにおいて紹介します。近況報告や、プロジェクトリポート、あるいはテーマ別のトピックなど、 気軽に読んで頂ければ幸いです。

掘っ立て小屋と極上のお肉(スタミナ苑)

2008年6月28日
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スタミナ苑外観
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焼肉煙仕上げ?

 今日はちょっと脱線して、食べ物の話しです。
先日、足立区鹿浜にあるスタミナ苑に行ってきました。知っている人は知っていると思いますが、焼き肉では常にナンバーワンの有名店です。今回で二回目だったのですが、そもそも、友人がいつも行っていると言うことで、冷やかし半分で行ってみたのが最初でした。4時半開店ですが、3時半前に行かないと長蛇の列ができているということ。駅から遠い利便性の悪いところにあるということ。3時半を過ぎて並ぶと、二巡目になってしまうこと(!)そしてなにより、築50年はいってそうな、傾いた掘っ立て小屋(失礼!)のような建物なのです。机は平らじゃなくて、水勾配がついているし・・(笑)

 正直、焼き肉は嫌いじゃないですが、そんなに大好きな方でもなく、あまり期待していなかったのですが・・・・。行ってみてびっくり。めちゃくちゃ美味しいじゃないですか。肉が新鮮なんだろうと思いますけど、臭みが全くなくて、柔らかくて、ほんの少し焼いて思いっきりレア状態でたべると、もう、肉がとろけます・・・。ホルモンも歯ごたえが柔らかいし、テグタンスープはよく煮込んであって、トロトロのおいしさです。目から鱗です・・・。

 しかし、これだけ建物がボロいと、ボロいことが気にならなくなってきます。全体的に総じて小綺麗にはしていますが、天井とか壁は焼き肉の煙で燻された「焼き肉煙仕上げ?」状態で、なんとも味があります。店員さんも一生懸命だし、ものすごい古いというか普通の安っぽいテーブルとかイスも、なんだかマッチしています。ある意味、生活感の固まりのようなインテリアなんだけど、行くとこまで行っちゃってるので、強烈な非日常・エンターテイメントですなぁ。

 スタミナ苑を初めて食べて以来、いろいろなところで焼き肉を食べてみましたが、かなりの有名店に行っても、あのおいしさは味わえなかった・・・。唯一、かなり良い線いってるのは、森下の静龍苑が、お肉はかなりスタミナ苑に匹敵します・・。どちらにしても、必見の価値あり・・・、ぜひ、お試しあれ・・・。(田島)

プロセスをデザインするということ・・・II

2008年6月19日
(・・つづき)でも、できあがったらできあがったで、空間とか、デザインとか、機能とかが一人歩きを始め、完成後の姿として、制作プロセスとは無縁のものとして、存在してしまうのも事実です。

 だから、いつも、そのプロセスが顕れるように工夫してきましたが、一方で、そのプロセスを見えなくするぐらい「完成」させてしまうという、もう一つのデザインの手法もあるのも確かです。

僕自身は昔はわりと前者を志向していましたが、インテリアやプロダクトをデザインすると、知らぬ間に後者になってしまう傾向があるようです。う〜ん・・・と悩みながら、今日もいそいそとデザインを考えています。(悩みはつきない・・・・、笑)(田島)

プロセスをデザインするということ・・・I

2008年6月18日
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住宅設計の模型プロセス

 建築や空間、あるいはプロダクトを設計デザインすることは、とても楽しいことですが、同時に、とても難しいと思うこの頃です。

毎回毎回、その都度プロジェクトの条件を網羅し、すべてを満たしつつもそれが独自のシンプルな回答に行き着くように工夫をしてきました。だから、プロジェクトはそれぞれ、独特の成り立ち・個性がありますし、それが、今までの誰かのデザインを真似したような回答にはならずに、オリジナリティのある正解を作り上げてきたつもりです。

 でも、デザインのおもしろさは、制作プロセスとできあがってしまった後のギャップです。設計作業をしながら一緒に考え悩んだクライアントは、その最終的な回答が十分に練られたモノだということを理解してくれますし、それが結果としてのデザインが姿形を顕したのだと・・・。(つづく・・)(田島)

マンションというビルディングタイプの危険II
(バラバラ殺人事件・・・)

2008年6月14日
(・・・つづき)でも、最近のマンションはまさに、「気配」を消す方向に設計されています。
向かいのマンションの窓の光は見えるけど、隣の部屋の窓の光は見えにくいし、気配は感じられない・・。マンションの外廊下に面した各玄関ドアの向こう側は、社会からはまったく遮断された空間になっています。だから社会性の欠落したプライバシーが増幅してしまうように思います。たとえば、マンションでは廊下で突然だれかと出会っても、とても唐突なので話しかけるのがとても難しい。逆に妙になれなれしければ、例の殺人事件もあって、警察に通報されてしまうに違いありません。

 でも、考えてみてください。昔ながらの古い住宅街で、ちょっと顔を合わせて挨拶したり、立ち話したり、そういったことが、不安感になりましたか? むしろ、それこそが大きな安心感だったように思うのです。

だから、こういった「コミュニケーション」の違和感を緩和し、今の時代のプライバシーは確保しつつも、もっともっと安心感のある集合住宅の新しい形式を探し当てたいと思っています。(田島)

マンションというビルディングタイプの危険I
(バラバラ殺人事件・・・)

2008年6月10日
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 昨今の殺人事件が尋常じゃない。先日、秋葉原での殺人もすさまじかったけど、僕が心配しているのは、バラバラに切り刻んでしまうような、マンションで起こる殺人のことです。

去年(だったかな?)渋谷で起きたセレブ妻殺人事件だったり、あるいは先日起きた江東区潮見でのバラバラ殺人事件。どちらも新しい小綺麗なマンションで起こっており、こういったマンションがもつ空間形式が、人々の精神やコミュニケーションに対する感覚に歪みを起こしていると思うのです。

 そもそも、街には気配というのがありました。もちろん、直接顔をあわせて挨拶をしたり会話することがコミュニティにとっては重要だけど、それよりもなによりも、お隣さんやお向かいさんの「気配」を感じられることが、人々の「社会」という潜在意識にものすごく有効だったと思うのです。となりの家の電気が付いたり、庭で作業をしていたり、あるいは子供達が遊んでいたり、道を介した「気配」が、人々の社会的コミュニケーションのきっかけをつくっていたと思うのです。(つづく・・・)(田島)
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